| 2004年12月31日(金) |
一年間ご愛読、ありがとうございました。
どうか良いお年をお迎えください。 |
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昨年の暮れはまだ元気だったお袋を手伝わせての神棚の掃除、寂しく偲びながらの今朝でした。そしてサトイモを刻みまたノッペスープを作り、年の瀬を迎えました。今年はいろいろなことがありすぎて、まさにドッグイヤーでした。新年のお袋の腰痛からの入院、そして4月の突然の逝去。5月の村松本店の新築移転。7月の三条の大水害に続いての10月の中越大震災。仕事上では、予想以上のフイルムカメラの後退と突然のメイン問屋の蹉跌。大変に思い出の多い一年でした。そんななかホームページ開設に挑戦し、ワイフの家事を支え調理を楽しみ、デジタルでの写真を楽しみ、すこぶる健康でのまあまあ大変な苦難の中、一生懸命に生きることができた還暦の一年ではなかったかと・・・。一年間またいろんな人たちと出会うことができました。新年はさらに課題の多くなる年になることと思います。どうか良いお年をお迎えください。そうそうEOS20DとうとうGETしました。お正月の使い染め、期待していてください。 |
写真は奥早出渓谷の雪景色。衣岩と小面谷(こつら)
EOS10D、タングステン |
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| 2004年12月30日(木) |
| あれこれ、短気はやはり損でした。 |
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多くあるネガからどの位の大きさでスキャンしたら綺麗に大きく(全倍)以上に伸ばせるか、あれこれ試していたらパソコンがフリーズしてしまい、電源Offにしたら、また大変、ついにリカバリー不能の深刻な事態に。短気は損、結果的に再インストールでした。幸い殆どのデーターはCFやHDにバックアップしていたので大きな影響は受けませんでしたが、ソフトのインストールやら通信の設定に意外に時間がかかってしまいました。パソコンは新しく買え変えたみたいで、怪我の功名でしょうか。それが理由ではありませんが、この好日の更新をさぼってしまいすみませんでした。結果としてカラー24BITで等倍1200dpiでのSCANをこれから恒にすることに致しました。それからSSLとPGPの導入。これはお客様からクレジットカードをホームページ上でメールでご利用いただくのに暗号を使って、お客様のカード情報を他に漏れなくやり取りする方法です。わからないことだらけで四苦八苦。安い費用で、小さなお店でも利用できる先を探してウエブ上で探しまくっていました。いよいよ暮れも押し迫ってきました、お正月の準備もそろそろ始めないと・・・。写真は加茂市中大谷。まだまだはさ木がここには沢山ある。この下大谷のお寺の副住職がタカナシ村松店の店長をつとめる小島君です。
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| 2004年12月17日(金) |
| いい風景に出会うことこそ早道と思いますが・・・・。 |
良く皆さんから写真が上達する方法を尋ねられる。私はなんと言っても凄い、感動を覚える景色の場に自分をおくことですよといつもお答えしています。そんな景色を求めて皆さんと旅をする。あらかじめ持っているイメージが現実のものになったときの感動は筆舌に尽くしがたい。左のこの写真も随分前に高田誠三先生からいただいた賀状に、えっこんな丹頂が眠っている場所なんてほんとにあるの?と感動と憧憬でみて、それ以来長年夢に見た場所でした。釧路湿原の外れにある鶴居村の音羽橋からの絵です。早朝の厳寒の中、まだ鶴の群れは眠っている。朝焼けの色を帯びた川の色とあいまりイメージ通りに展開する光景に興奮でした。しかし結果は安物のレンズではどうも遠いこの光景にコントラストが出ず、自分の腕もそっちのけで悔しい思いをしたものです。陽が上がると丹頂は目覚めて散って行く。この冬もなんとか皆さんと是非また行きたいものです。EOS1N、75-300IS/4-5.6テレコン、ベルビア50
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| 2004年12月16日(木) |
| 嬉しいことにまたまたお野菜をいただきました。 |
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お客様からありがたいことに大根を沢山いただいた。ちょうどぶりのあらのいいものが昨日行きつけのスーパーにならんでいたので買い、ぶり大根を作った。我ながらなかなかの出来、ワイフからも喜んでもらった。そしてまたまた知り合いから沢山の里芋を。何故かことしは新潟名物のっぺい汁が恋しくて挑戦しているのでありがたい。これもまた人参とともに剥いて線切り、そして牛蒡のささがき、鶏肉、戻した貝柱と糸蒟蒻を薄い塩味で。今回はエノキダケと銀杏そして別にさっと茹でて細かく切った絹ざやを。とてもカラフルなのっぺスープでした。早速倅たちにも裾分け。これまたワイフから喝采を浴びた。料理って喜んでいただけるから作るようですね。特にワイフが不在で一人の時などついつい手抜きをしてしまう。写真もそうかな、皆さんにごらんにいれて喜んでいただける?から懸命に写す。野菜を下さる方々もまた僕が喜んで料理に使い、おいしい喜びを感じるからおつくりになりくださるんでしょうね。食彩のページもなかなか更新していませんが・・・。そのうち頑張ります。写真はこの好日の9月29日掲載と同じ場所。八幡平温泉の岩手県民の森、もう随分前の写真です。。 |
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| 2004年12月14日(火) |
| 植物も昆虫も中越地震を予知していていた。 |
まるで天上界が地震の罪滅ぼしでもしているような良いお天気、雪の気配もなく被災者には何よりのことだろう。ところで毎年10月過ぎるとロータリークラブに長岡の酒井無線の酒井社長さん(工学博士)からかまきりの巣から測定する積雪予報のパンフレットが贈られてくる。興味深くいつも読ませていただいているが、地中に水分が少なく、天空に水が多いと積雪、降雨が多い、逆に地中に多く天空に少ないと降雪は少ない。そんなことを植物が読み取り根からの水揚げの抑制弁の高さを調節しているという。地中の水が少ないと抑制弁の位置は高く、多いと低いという。それをカマキリやいらがなどの昆虫は察知して卵を産む高さを決定すると言う。そんな抑制弁の位置を科学的に振動を与えながら測定し、毎年市町村スポットごとに発表されているし、日ごとの予報も出していただいている。毎年富士山ツアーの実施日の決定には大いに役立っている。こちら日本海側が荒れているときには必ず富士山は美しい姿を見せてくれる。さてこの酒井博士の予報の今年のラストの記述が大変な話題になっている。それは、断層の変化があるとこの抑制弁の高さがとてつもなく高くなるという。そこから100mはなれると普通の高さに戻るという。その断層にそっての高さの状況は水田に電柱を立てたかのようと言う。その脈列が小千谷から長岡、与板へと連なっているという。『自信はないが地震は確実にある』との記述です。この発行は10月、まさに震災発生の23日の前には印刷を終えて発行されている。植物や昆虫は今回の地震を予知して、また酒井博士もまたそこから予知しておられたんですね。最近ガソリンのセルフへ行って感じることですが音を聞いて尿意を覚えさせられる、皆さんも経験のあることと思いますが・・・。脳が水が飲めるぞぉーって知覚するんでしょうね(写真は福島潟)
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| 2004年12月12日(日) |
| 写真作画はストレス発散に大きな効果 |
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朝寝坊してしまいせっかくの好天の朝をパスしてしまいました。幸い快晴で雪の気配には遠い新潟です。木曜の会議で久々に東京でお会いした長岡のイソベ社長が地震後のいろいろで写真が写せないでストレスが溜まってると言っておられるのを耳にして、ますますもったいなく感じます。中越方面の愛好者の皆様のためにはむしろ来春早々のフォトツアー企画をしっかり立てなければ考えます。ご要望により山古志の闘牛と震源地の川口付近の信濃川の春景を入れてみました。闘牛は虫亀闘牛場で。山古志地方では負けた牛の威厳を傷つけまいと最終的な勝負の決着の寸前で引き離す。牛への愛が強い。昔メキシコを旅したとき見た殺戮闘牛とは大違い。もし再興できたら・・・、また皆さんを誘って通いましょう。あとは越後川口SAの裏の展望台よりと右は3月の山古志の棚池です。蕗のとうは来春また・・・。 |
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| 2004年12月10日(金) |
地震後3度目の上京。福島郡山経由で3時間。
またまた裏磐梯に寄り道の早朝撮影でした。 |
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業界団体の今年最後の各県の会長さんたちを集めてのの会議。朝4時に村松を出て車で郡山へ。途中また裏磐梯に立ち寄りました。桧原湖そして小野川、曲沢、曽原とまわり、最後は秋元の発電所付近へ。いいガスが漂い10名ほどが集結してました。上越新幹線だとやはり5時間近く新潟市までかかります。郡山から東北新幹線だと1時間あまりでとても便利。駐車場は1日1、200円。しかしせっかくの磐越道、朝もったいなく天気予報を見てはついつい早起きして裏磐梯に寄り道したくなってしまいます。おかげで楽しめました。 |
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| 2004年12月8日(水) |
| 師走です |
3日連続の忘年会で今日一日おいてまた明日東京行きで会議の終了後忘年会です。しかし今年はこれで終わりです。
夕べは新潟市で、居酒屋でした。街はさすがに不景気でも忘年会のシーズンピークとかで雨風でしたが賑やかでした。
さて今年も村松の銀杏の里(蛭野集落)の銀杏を撮る機会がありませんでした。銀杏のちょうど良い時期を皆さんから質問を受けるのですが、銀杏は他の紅葉と異なり一本一本黄化の時期に個性があるようです。左の写真は随分昔の写真です。
日が暮れてからの撮影でした。ベルビア使用。
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| 2004年12月3日(金) |
| 放射冷却の朝。 |
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昨日今日と暖かい日が続いています。今朝は今年一番の冷え込みで放射冷却がこちらにも。犬の散歩の途中霜を見て、朝食前にGETしました。うっすら赤みが残るこの季節の霜は大好きな被写体です。ISO400に設定してF5.6、RAWモードのシャッターオートで撮影致しました。ドウダンは我が家の裏庭。いつも接写は手持ちでどんどんしかし慎重に写してまいります。アマピンやぶれもままありますが。数枚の確率で当たります。被写界深度も浅いので合った瞬間にシャッターを押しています。村松公園も回りも木々は殆ど葉を落とし。完全に枯葉の状態になって参りました。朝の霜がこれからの狙い目ですが、日が当たると一瞬に溶けてしまう。いつも思いますがシュガーをまぶしたみたいですよね。 |
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| 2004年11月29日(月) |
| トップページを更新いたしました。 |
『村松記念公園・・』に続いて土曜日は朝から『桧原湖西岸』を作成、勢いに乗って突貫工事でトップページを再構築してしまいました。フレームページを作り、増えるギャラリー展示をクリックしやすくしようと試みたのですが・・・。開いていただいた皆さんにはどう感じられたことやら。各展示室もいろいろ手直ししているのですが、まだまだ不備が多いことです。
さてそろそろ来年上半期のツアーの発表が迫ってまいりました。皆さんの震災での被害や落ち込みも気にかかりますが、やはり撮影ツアーでストレスを吹き飛ばすこともまた重要かななんて思います。
この土日で随分紅葉も落ちました。さくさく落ち葉を踏む、もう冬の足音が控えているようです。
今年の2月の富士山撮影ツアーでの作品です。
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| 2004年11月26日(金) |
| 今日は悲しい葬儀に、東京行きでした。 |
私が業界活動に打ち込むきっかけになった師ともいえる人が87歳で逝去され葬儀のために地震後二度目の東京へ行ってまいりました。朝4時50分に村松の自宅を車で出て会津若松ICまで行き喜多方から桜峠を越えて裏磐梯桧原湖に入り、細野周辺で50ショットほど写し、猪苗代からまた高速に入り郡山で新幹線に乗り東京へ入りました。葬儀は荻窪、死んだ姉の家への通り道のお寺で。業界の懐かしい方々も参列され賑やかな葬儀でした。かわいがっていただいたせいで故人の思い出が次から次えと脳裏をよぎり、涙がぽろぽろのつらい葬儀でした。終わって姉の家の前を回り道して西荻窪まで歩き、また郡山経由で帰宅しました。安田ICからは直線で150kmほどで、 駅前の駐車場は1000円でした。
今朝の桧原湖細野です。ちょうど日の出の時刻でした。
冷えたせいで湖面からの水蒸気でいい雰囲気でした。 |
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| 2004年11月23日(火) |
| 『奥早出渓谷秋色』リリースしました。 |
地震発生から1ヶ月が経過しました。あっという間の1ヶ月、被災者の方々にはほんとに悪夢の一ヶ月だったことでしょう。
さっぱりこの秋は撮影にも集中できませんでしたが、なんとか今日も4時を過ぎてから店を抜け出して薄暮の中、早出渓谷を写させていただきました。なんとかまとめてみましたが、8冊目のリリースです。
この早出川渓谷の入り口がタカナシ村松店です。是非皆様もお越しください。 |
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| 2004年11月21日(日) |
| 夕方から雨の中、家の周りを撮影しました。 |
やつでがこの時期に見事な花をつけるなんて、これまたこの歳まで気づきませんでした。小さな花を沢山グルーピングして、良く見るととても綺麗で清楚さを漂わせておりました。早速前庭に咲いているのを100マクロで狙ってみました。少し散り始めておりました。バックはどうだんツツジの赤みでしたが素敵な色に纏まりました。いつも接写はISO400ないし800にして比較的早いシャッター速度で手持ちで写しています。このやつでも庭石の上に上がり写したもので、とても三脚を立てる状況ではありません。三脚を立てて脚立にあがって写す間に3〜40ショットは撮れてしまいます。その足で自宅から20分ほどの早出渓谷を写して参りました。
先週この欄で新幹線の開通を心配したんですが、昨日の新聞では年末には開通できそうだとか、ありがたいことです。
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| 2004年11月15日(月) |
| ようやく余震が少なくなってきたようですが・・・・。 |
ようやく余震が少なくなり、落ち着いて仕事ができるようになりました。新幹線も脱線車両の撤去が進み始めましたが、なにしろ震源群の真上を新幹線トンネルが貫いている。基盤が持ち上がり中は大変な状況となっているらしい。報道はされないがもしこの地震が1分早く起きたなら脱線車両はあの親子生き埋め現場付近のトンネルを通過中、そしてまた3分早かったら、ひょっとして登り車両とトンネル内部でクラッシュ、火災の大惨事になるところで、凄い天上界からの力が働いたとしか思えないような奇跡だったと思います。しかしおそらく新たにトンネルを掘るに近い時間を復旧までに要するんではないかと思うのですが。東京まで飛行機を使わないで5時間以上かかってしまいます。一挙に僻地になってしまった感じです。さて航空測量会社のサイトに被災地の空中からの写真がどんどん載り唖然としています。各社のURLを記載しました、クリックしてみてください。
さっき新津店からの帰りに石油の里、中野邸の前を通りました。中野邸の紅葉は有料でうかがい知れませんでしたが、その新津の金津にある堀出神社の階段が眼に留まり、雨の中を写させていただきました。雨の日の紅葉もとても良いものです。晴れていると透過光にばかり気が奪われますが、反射光は美しいと思います。ISO400にして手持ちで撮影致しました。クリックで大きくしてご覧ください。
http://www.oris.co.jp/jishin2004/h16jisin_top.htm
http://www.kkc.co.jp/social/disaster/200410_niigata_eq/index.html |
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| 2004年11月8日(月) |
| 号泣の野球少年に自分を見た。 |
今日は昼前から久しぶりに大きな余震がたびたびで、なかなか落ち着きません。
以前9月に私の所属する村松ロータリークラブが主催する小学生の野球大会の準決勝、決勝が雨で順延されたのがこの2ヶ月後の昨日の日曜日に行われました。11月になっての野球大会なんてと思ったのですが、思わぬしり上がりの天候に恵まれて、楽しめました。シグマやキヤノンの長玉を持ち出し、高速でネット周辺から取り捲りました。今はもう遠い自分の小学校や中学の頃の野球少年時代が思い起こされとても楽しい一日でした。
特に擦れたキャッチァーフライの打球音がすると、キャッチャーをしていたせいか体が自動的に反応してしまう。
子供たちに自分のアップのプレイする写真を差し上げたいと思って写したが果たして喜んでいただけることやら。
そんな思いでヒトコマヒトコマを補正していたら、面白い写真に出会った。
3位になったチームのキャプテン君。
準決勝で延長防止のため無死満塁から両インニングで点を競うエキストライニングをして表で入れた3点をどんでん返しで逆転されてしまった。試合終了の挨拶で両軍交差する時の写真で余程悔しかったのだろう号泣している。(上のサムネイル写真をクリックしてみてください。大きくなります)
そして下の表彰式の写真。優勝チームと準優勝チームの交歓する対比を面白く見ていたんですが、しみじみ悔しそうに自分の3位の賞状を見つめる少年の表情に気が付きました。まさしくあの号泣のキャプテン君でした。
思わず自分ももらい泣きしてしまいました。彼を見て自分の子供の頃を思い出してしまいました、私も子供の頃から随分負けづ嫌いだったと。
今も何故か勝負事には近づかない。負けるのが嫌なせいだ。
麻雀も駄目、競馬も駄目、祖父は随分強かったらしいが、父も全く勝負事には縁がなかった。
考えてみれば野球も中学2年の最後の負けたゲームが大きなミスジャッジのせいもあって男子一生のことでなしと中学時代を最後に足を洗った。
この10番キャプテン君の行く末が楽しみです。
写真ってこう言う瞬間も記録してくれるんですね、楽しいです。
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| 2004年11月4日(木) |
| 地震後初めての東京行きでした。 |
地震後初めての東京へ会議での出張。今日からは新幹線の新潟長岡間が開通すると言う。昨日まで空の便は満席。夕方何気なくネットで全日空の12:30発を見ると1席だけ空きがある。早速予約した。
帰りはフライトも無い。そして翌5日の朝の便もすべて満席、しかたなく越後湯沢まで新幹線、そして代替バスに乗り継いで長岡駅、そしてまた新潟駅まで新幹線のコースを取ることにした。
帰りが新幹線で車を新潟空港に停めるわけにもゆかず新潟駅にとめて新潟駅を11:30発のリムジンバスで空港に行く。フライトは正味40分ほどでしたが、モノレール,、JR、地下鉄と乗り継ぎ結局会議の開かれる神田に着いたのが14:30でした。空路で所要3時間。新幹線とほぼ同じ時間を要しました。あらためて新幹線の有り難さを実感させられました。
この羽田、新潟間のフライトもなんと20年ぶりでした。59年に上越新幹線ができて廃止になった。その最後のフライトに乗った記憶がある。新幹線がボディチェックも手荷物検査も無く乗れて、なお便数が多いことに慣らされたことを痛感した。
帰りはどうなるかも分からず、会議が終わると懇親会も出ず失礼して東京駅に急ぎ17:40発の越後湯沢行きの臨時便に乗った。19:15に着いたけれどバスの出発は40分後でそれが今日の最終と言う。各列車にそれぞれリンクはしないようだ。バスは駅前に沢山待機していたが、なぜか数台隊列をなしてゆくようだ。小出から一般車両の不通区間に入る。両側は暗くて被害状況はわからないが震源エリアはただあの高速道路が波打って、バスが大きくうねりながら走る、そしてところどころ衝撃を受ける。夜をついての普及工事が続けられていた。緊張した雰囲気を載せて長岡市内にはいる。なぜか駅の随分手前で降ろされた。地下道をくぐりそして高架の新幹線駅へ。高齢者にはとても無理。20分ほど待ってようやく長岡を出発、いつも感じないゴツゴツ感をさせながら新潟には10時過ぎにつきました。結局帰宅は11時。
長い異質な場所を潜り抜けて旅をしてきたような感じを覚えました。
東京のJRの電車の中で隣り合わせたご婦人たちの会話が妙見の一家3人の救出劇や山古志の悲惨さでした。飛行機の中も右隣りの若いご婦人は長岡の義父母宅の片付けの手伝いのお帰り、左隣はプレハブ住宅会社の調査マン。
大変な数の専門エンジニアの人たちが復興に参加していると聞く。
東京の会議ではメンバーが被災者への詐欺や倒壊宅への盗難に怒っておられた。
写真は五泉市不動堂の銀杏、2日に撮影。銀杏は場所でなくて一本一本黄化時期が異なる。
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| 2004年11月2日(火) |
| 単に風景といっても・・・・・ |
風景写真には二通りがあるのではと思います。全く人間の手が入らない、すなわち構築物の全くない、手付かずの原風景と、一方人間の意志から作られた構築物から作り出される風景かと思います。私も常々風景を写しながらこの美しさは原風景なんだろうかそれとも人間が作り出した美しさなのであろうかと問いながら楽しんでいます。普段何気なく見させられている風景写真にもこのような視点を持つとまた変わってきて面白くなります。
山古志の棚池の入った風景は迷わず後者でありましょう。世界遺産もどういう視点で選定されているのかわかりませんが、このような選定の視点も大切と思います。
神々の造形か下々の人類の造形か。やはり我々の人類の造形は無常なものであり、神々の造形の前には無力で、元に飲み込まれるということがまた今回の山古志の地震災害で強く感じさせられたことでもありました。
今日は午後から自宅の近くにある村松記念公園を写しまわりました。この公園は日露戦争の戦勝記念に作られ、愛宕山という里山の東側に広がって、吉野桜で有名です。愛宕山の遊歩道は私の家の付近まで続いており素敵な散策道です。先日お話したかつらの森や楽しみが一杯です。ここのところの急な冷え込みで随分紅葉も進んでまいりました。これからが楽しみです。時々写真で報告をこれからさせていただきます。
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| 2004年10月30日(土) |
| 何もなかったかのような静かな昨日の越後平野でした。 |
昨日の越後平野は何も無かったかのような秋晴れのいつもの美しい夕暮れでした。そんな夕暮れに惹かれて新潟からの帰途に久しぶりに阿賀野川の堤防の道路を通ってみた。
五頭山から満月がちょうど上がってきて思わず車が止まれる場所を窺う。河川敷の駐車場に降りた時には月は随分山の端から離れてしまっていた。そこで月明かりでの撮影を試みた。
10秒から20秒の長時間露光、しかも暗い中でピントも自分の眼で補正でしたがまあデジカメの魅力、モニターチェックでにこにこ。裸眼では見えなかった漁りの鷺までがくっきりで・・・・・。
9月の奥入瀬以来、すっかり長時間露光にはまっている。この写真はISO100でデイライトでした。ROWモードで現像でしたが、懸念のノイズも殆ど無い。
それにしても僕の眼にはとても視認できないこの世界、鷺が月明かりで漁をしてるのにも感動を覚えました。落ち鮎なんでしょうが。
月明かりでの撮影も今後また楽しめそうです。
その後白鳥達は随分と賑やかになってきました。今朝も7時前の犬の散歩の時に頭の上でかしましいので見上げると、15〜6羽が南から。
それにしても朝異常に早い、しかも震源方面の南からいつも出勤は8時過ぎ、そして宿営地の瓢湖とか福嶋潟のある,北方面から来る。地震を予感して逃げてきたのだろうか。ふと心配がよぎる。余震がなければよいけれど・・・ |
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| 2004年10月27日(水) |
| 抜け落ちた・・・・ |
いつ終わるのかと・・・果てしなく異常に続く余震。眼の前でガラガラと音を立てて建物がそして道路が、棚池が抜ける。超高価な錦鯉の種鯉が池のヒビ割れの水抜けで腐臭を放つ。何百年もかけて切った棚が一瞬に抜けてしまう。思い出の撮影ポイントはもう戻らない。スキー場の先の焼山峠も、峠の西側の集落が小千谷市西谷、3人の小学生が圧死した。役場の前後も抜けた、そして山古志電子にいたる道路もすべて抜けた。まさに抜けると言う表現がぴったりなのだ。抜け落ちてしまう。大昔、抜けそうもない所を先人が選んだ居住集落の場所だけがかろうじて抜けてない、しかしその選んだ場所を超えて作られた家作は無残に抜けている。なんとかならないのかと写真仲間からメールをもらうが、もう気力もでないだろう。華麗な闘牛ももうみられないのか・・・。撮影をしていて脇でがつんがつんと立ち木で角を磨く牛の音が頭に残る。30年間にわたる田中角栄の列島改造の所産も見事に抜けてしまった。自然に帰したと言うべきか。山古志
には村人の手堀トンネルがあるがそもそも集落間の通行は本来無かったのがこの山古志エリアなのだった。冬には集落の自給自足の生活が連綿と続いてきた。現代社会に適合させてきたインフラが抜け落ちてしまった。
村人全員がヘリで長岡に非難した。このまま離村につながることであろうか。山古志鎮魂のアルバムをボツボツ作らなければと衝動に駆られる。
そしてまだまだこの地震は現在進行形なのだ。被災地にどう入るか、見舞いに行きたいけれど、なおもまだ余震が続く。
普段何気なく通行していた道路が抜け落ちている。また落ちかねない。今日母子の救出で話題の妙見もいつも長岡方面から山古志への入り口で、あの岩を見て唖然とする。私の通行中に地震がおきていたらと考えると常に危険と隣あわせで私たちは暮らしている。
役目柄私の業界の皆さんの消息や被害状況を纏めているが、今日の余震でまたまた新たな被害が?と・・。小千谷の東栄町の写真館が倒壊とTVが今朝の余震後に報道、えっサクライさんと思ってテレビにしがみつき、一軒隣のアパートビルからの壁面はがれで隣の屋根の上に落下して倒壊、サクライさんの建物はシートが入り口にあったけれど幸いに残っていました。
今年の春先3月の山古志の残雪の棚田、棚池の写真です。この写真を撮影した道路も抜け落ちていました。美しいこのフォルム、再び見ることができるのでしょうか? |
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| 2004年10月24日(日) |
| 一夜明けて・・・・・ |
恐れていたことですがやはり昨日報道されていなかった私がいつも撮影に通っている山古志村や川口町木沢地区、小千谷市塩谷地区の被害がへりからの映像で紹介されている。あまりの被害にただ驚くばかり。急峻な山を棚田にそして棚池にして錦鯉を飼育している地域。地質は泥と言うか海底からの隆起の粘土状の地質、硬い岩盤と言うわけでない。人間が住み着きブナ林を切り、棚を作り、水を引いて耕作してきた地域で、長い間をかけてどんどん開発されてきた。ここのところの雨続きによる地下水位の上昇とこの強い地震では崩落も当然と言わざるを得ない。行きつけている地域のため惨状が気にかかる。塩谷では小学生が3人死亡と言う。自衛隊の救出活動を見ると涙を禁じえない。7月の水害に続く震災、こちらは難をのがれましたが、ダブル罹災の方々にはただただお見舞いもうしあげるほかない。
皆さんから沢山のお見舞いメールが今朝携帯に届いておりました。ありがとうございました。
おかげさまでたいした余震も無くこちらは一夜をすごせましたが、気が付くと新幹線をはじめ高速道で山形方面をのぞいてすべての陸路が通行不能。物流にもこれから大きな影響をもたらしそうです。
明日からの中国行きもこの状況では参加するわけにも行きそうもない。まあまたどう成田まで行けるかです。明日の朝1の新幹線で成田まで行く予定でしたが・・・。まあ仕方ない。考えてみると長岡からのお客様の多いベトナムツアーも実施できるのかな?心配です。(8:30)
業界の被害状況を調べ、なかなかかからない電話でどうにか繋げてお見舞いを申し上げ、お話を聞く。印象では小千谷、越路町、見附に被害を強く感じた。なかなか業界の皆さんも状況がわからず、そのため組合で被災情報のページを急遽つくり、関係先にURLをメールで伝えました。時間とともに被害の大きさが明らかになる。いつも自分が写真を写している山古志の道路が無残に流されている。再びあの美しい景色を取り戻すにはまた大変な労力を要するだろう。頭の上を報道関係かヘリコプターが飛んで行く。明日からの中国行きはキャンセルさせていただきました。残念ですが罹災の皆さんのことを考えるととても行く気にはなれない。(16:30) |
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| 2004年10月23日(土) |
| 地震、びつくり・・・こちらは幸い今現在被害はありません。 |
心配かけております。自宅に戻ったところでした。ブルドーザでも近くに来たのかと最初はおもったのですが・・・。椅子にしがみついておりました。幸い震度5とか、各店も大丈夫でした。今回は主に長岡市から小千谷市、十日町市、小出町、見附市方面の中越地方中心の地震です。それにしてもどんどん続く余震。また今も揺れております。携帯メールは全く駄目。時々電話は通じます。情報源はテレビとラジオ。
私は新潟地震(昭和39年6月)の時は学生で新潟にはいませんので震度7は経験していないのですが、経験したワイフには今回の比ではなかったとか。こちら、にとっては過去の地震の経験では最強でした。
また揺れています。(19:30)
余震がなかなか収まらない。ようやく電話回線が余裕ができたようで、長男から報告やら心配の電話が、余震が広がることを心配している。長男の住む新津市では断水のニュースカーがまわっていると言う。こちらは大丈夫かと思うけど、万が一に備えてバケツやおなべに水を溜め込む。ワイフは服のまま眠るという。
玄関に長靴だけを準備したが、寝る前に寝室にもってこよう。先ほど長岡のイソベカメラの社長に連絡が取れた。商品被害はすくなそうだが、什器がひっくり返って大変らしい。現像機器は閉店近く処理を終えていたそうだけれど、薬品が振動で混じった恐れがあるそうだ。
今回は風景写真で有名な小千谷の塩殿地区や山古志の入り口の蓬平(火災発生中)などが酷そうだ。
明日の夜明けとともに相当な山崩れや被害が確認されるでしょう。まあこちらは非難するまではないと思いますが、これからどうなることやら。眠ります。
そうそう、アメリカの1ギガのサーバーの件、おかげさまでオープンいたしました。これからまたどんどんページを増やしてまいろうと思います。
ホームPにも記しましたがURLは http://www.c-ta.com/ です、移動してください、よろしく。(0:00)
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| 2004年10月19日(火) |
| 今朝今年初めての白鳥が頭の上を。 |
今日から業界の全国大会で東京への出張。朝寝坊してしまってサンドイッチをかじりながらの出発。頭の上を白鳥が3羽飛んでいった。今年初めての出会い
だ。6日ほど前、新聞では報じられてはいたが、自分にとっては初めて、例年より一週間程遅いという。
いよいよ越後平野にもまた冬が近づいてきた。もうすぐ一面に田んぼが白鳥でいっぱいになるだろう。以前は白鳥や鴨などは平野部ではほとんどおめにかかれなかったがここ数年は大変な賑わいだ。そして鷺、高校の修学旅行で琵琶湖付近を走る列車から見たのが最初だったが、近年は越後平野にも大進出、あらゆる種類の鷺が悠然と群れ飛ぶ。あらゆる生き物にとって生息環境が整ってきたんだろう。そういえば2週間前から家の近くで熊騒ぎ。新聞やテレビでは結構騒いでいるが、こちらではあまり話題になっていない。それだけ頻繁になってきたことだろうか。パトカーが体当たりされたとか・・。夜中に我が家も犬たちが騒ぐと熊がきたのかなぁなんて。しかしほとんどが隣の猫か狸、狸は多い。先日夜半に山古志への撮影に行く途中数えたら17匹にもあった。しかし朝3時以降は決して会わない、3時には床に入るらしい。昨年は狐に初めて会った。間違いなく先方の道路を横切った。眼を疑ったがタクシーのドライバーさんたちも時々見るというから間違いない。北海道ではキタキツネをよくみてい
るので間違いない。しかしその後狐は何故か見ていない。ムササビにもびっくりする。裏の家に巣食ったと聞いたが、通勤帰途の峠道で頭の上を座布団がスゥーとスライド。飛ぶ様を見たのはそのときが始めて。生息環境が整うとありがたいことにいろんな感動がある。
さて一昨日の奥日光裏磐梯、おかげさまで素晴らしいお天気に恵まれました。満点の星空から浮かび上がった小田代の伯爵夫人、数年ぶりに溜水に守られていました、しかも霧氷のお化粧つきで。湯元温泉は紅葉がピーク、龍頭の滝は赤がまだ。裏磐梯は下はまだ、スカイバレーの錦平が最高でした。裏磐梯はこれからが楽しみですが来週は中国行き残念です。。
左から17日の紅葉と霧氷の奥日光小田代原、湯元温泉、龍頭の滝、裏磐梯スカイバレー錦平。詳細はまた近日です。 |
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| 2004年10月16日(土) |
| 金木犀の香りが今朝は? |
9日の朝、突然香り出し昨日も素晴らしい芳香を味わさせてくれていたあの金木犀の香りが今朝の散歩では全く消えうせていた。まだ金色の花は散ってもいないのに。鼻がおかしいのかと疑ってみたが、家に戻るといつもの朝のお線香の香りがしたから間違いない。きっちりどの家の金木犀も示し合わせたかのように1週間で香りを閉じる。知らなかったけれど驚きでした。
芳香の1週間ってまた面白い。散歩道でお会いした中学時代の恩師の奥様のお話では例年より遅かったそうな。
マイク真木のバラが咲いたの歌詞を思わず思い出していた。
60年も気づかずに生きてきたことが、突然気づく。50歳になったときもそうでした。風景の美しさに眼が行くようになった。それまでああ綺麗だぁなんて程度にしか思わなかったことが。敬愛する写真家の竹内敏信先生が風景写真は50歳からとおっしゃっておられたが・・・。60歳からの発見ってまた楽しみだ。この金木犀が第1弾なのかな?
新しいアメリカのサーバーはまだ工事中、長引く工事にそろそろ心配になってきた。
今晩から奥日光裏磐梯へのツアー添乗です。
先日に続いてバンクーバー島ビクトリア近郊のブッチャートガーデンでEos10D100マクロ |
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| 2004年10月14日(木) |
| 引越しの準備を始めました。ホームページのことですが。 |
ホームページを開設してから変わったことは何かと言うと、このページを更新しないと、私が病気にでもなって具合が悪いんではなかろうかなんて心配を掛けてしまっていることであろうか。とてもありがたいことです。元気です。実はOCNホスティングの契約容量の30メガに近づいてきたせいか、ページの更新がなかなか旨く行かず苦労しているせいで更新していないことです。ページから所々写真が抜け落ちてしまって、その原因がIBMのホームページビルダーソフトが原因なのかそれともサーバーであるOCNホスティングのその30M契約のなせる業なのか原因が把握できないで、現状対応に数日を要してしまったせいであります。まだ容量的には4メガ残っているんですが、ページを再編集したり、あらに作成しなおしても
転送がうまく行かない所を見るとどうやら容量のリミットに近づいたせいのようです?かねがね、うまくこのホームページが軌道に乗れば30メガでは足らないだろうとは思っていたんですが、まぁ順調に来て、やはり足りませんでした。これからネットでのデジタルカラープリントの24時間受付システムをもっと皆さんに使いやすいようにしてゆくためにも、カートを使ってカードやコンビでの決済で私の選んだ品々を簡単にお求めいただく大量のページを作成するにも大量の容量のサーバーが必要となってまいりました。インターネットであちこち調べてみたら、やはりこの1ヶ月間のこちらの理解度がましたせいか、とんでもない安い米国系のサーバーを見つけて契約いたしてしまいました。費用はドメイン取得とあわせて年間3万円ほど。供用してみないと実際にどんな問題点があるかわかりませんが、30坪の事務所から1,000坪の事務所への早々の引越しです。30坪の方は月家賃2,604円(税込み)ですのでまあ新しい事務所が軌道に乗るまで借りていても良いかなぁなんて思っていますが・・・。それにしても30坪も1000坪も家賃はほぼ同じとは・・・。しかし1000坪のほうはアメリカに、しかし、瞬時に(時々時間がかかる?恐れもあるらしい?)行きかいするから、まぁ大丈夫かとも思いますが。
今のOCNのドメインを長く作りすぎてしまったので、今度は(年間使用料金990円)、超短い、c-ta.com(つぇーたどっとこむ)ですって今日現在、すでにすべてのデーターは転送済みなんですが、まだ工事中の張り紙がしてあります。
完成次第あらためてご案内申し上げます。
そんなわけで今日はお写真の貼り付けは、うんと小さくしてみました。届くのかな?
いずれもビクトリア近郊のブッチャートガーデンで撮影した蓮の花です。 |
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| 2004年10月10日(日) |
| 金木犀の素晴らしい香りが・・・。 |
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昨日の朝、台風が来る前の雨の中,犬の散歩に出た。途中で前日までにはなかった芳しい金木犀の香りが漂ってきた。こちらの家の木からも、あちらの家の木からも、突然目覚めたように。雨であまり気の進まなかった散歩が突然楽しくなった。
数年前中国の桂林に行ったとき、ちょうど銀木犀が咲きほこり、桂林の街中がその香りに満ち溢れていた。桂林の地名はこの金、銀木犀を桂花と呼ぶことからきていると聞いた。桂花酒としてその銀色の小さな花びらから作った香ばしいお酒が供されていた。
先日奥入瀬でお話した桂とは違うが、木犀の香る街も忘れがたいものだ。
私の住む村松も金木犀が多い。今朝はおかげで散歩もるんるん気分。愛犬のビーグルのラッキーは高齢の15歳、耳は聞こえず、目も白内障、足も筋肉が落ちてよたよた、リードを強く引くとかわいそうに尻もちを突いてしまう。しかし何故か嗅覚だけは達者なようだ。この木犀の香りが届いているかははなはだ疑問だが、雨の中でも尻尾を振ってるんるん気分に見えるのは、ひょっとして解かるのかも知れない。
この木犀もまた桜前線みたいなものがおそらくあるんだろう。毎年香りはじめた日を記録していたらまた秋ももっと楽しめるだろう。
もう一度銀木犀の咲き誇る桂林に行きたいものだけど、水の無い季節であまり絵にはならないのが残念だ。
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今年は雨の日がとても多い。7月の朝の尾瀬ヶ原、竜宮小屋裏の沼尻川の拠水林の霧の林を抜け出て原に出ると一面に蜘蛛の巣が見事な水晶のシャンデリアを作っていた。一つ一つの水玉にもまた尾瀬の風景が一つ一つ描かれている。 |
| 2004年10月6日(水) |
| 今年初めて新米をいただきました。 |
| 近所の農家の奥さんから今年初めての新米を頂いた。早速炊いて食した。香ばしいおいしさが口いっぱいに広がる。とてもHappyな感じになる。ワイフの言葉でないがおかずなんて何もいらない、ただ新米さえあれば・・。私は春先に摘んだふきのトウを茹でてよく絞り、刻んで、小さな石鹸くらいの大きさにスティックにしてラップで包み、いくつか冷凍にしておき、それを今の季節に解凍し、味噌,みりん、醤油で煮ながら味を調えふきのとう味噌を作るが、これがまた新米には良く合う。ほろ苦さがまたなんとも言えない。ほろ苦さと言えば私の住む村松では江戸時代の藩政時代からこの季節になるとめだかを食する習慣がある。子供の頃には夕方良くめだかを売りにきたものだ。茹でてひろげさらにお醤油で煮詰める。最近はめったにお目にかからないが、養殖が盛んらしく、料亭で少し、大根おろしの上にのっかって出てくる。このほろ苦さもまた新米に良く合う。この季節になると田舎に住んでいるありがたみが良くわかる。それにしてもここんところ良く雨が降る。今日は予報が外れて久しぶりの爽やかな日となったが・・・、それにしても暖かい。例年だと手袋とかマフラーとかセーターとか・・、今年はまだ頭にすら浮かばない。紅葉はホントに来るのかな?心配。今日は店から200/2.8用にPL偏向フィルターを調達してきた。デジカメに代えて始めての紅葉。やはりしっかり赤の色を捉えたいものだ。 |
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『しじま』新潟県福嶋潟EOS10D80−200/2.8
新潟県の豊栄市、月岡温泉の近くにある福嶋潟、すばらしい朝の景色をいつも与えてくれる。
水面に発砲スチロールなどの上流からの浮遊物が多いがフォトショップのスタンプが綺麗に掃除してくれる。
先日もスーパーのビニール袋が鷺の脇に、うまい具合にのぞけた。ここはやはりデジタル処理なくしては水面の静けさは引き出さない。
| 2004年10月2日(土) |
| またまた電話で食事を中断させられて・・・・ |
ここんところ食事にたっぷり時間を掛けている。そして食後の会話を特に大切にしていることは前にも書いたけれど、夜8時頃をみはからってのことだろうか、2日連続して違うセールスさんから電話が入ってしまい、残念なことに食後の会話の楽しみが中断させられて終わってしまった。一人は会社名は名乗るが知らない、どうも商品投機の勧誘らしい、もう一人は、SSIといって自己啓発ソフト販売のセールスマンだ。長年話の中身はこちらが熟知しているのに知らぬはそのセールスマンだけだ。
彼らにこちらの食後の会話を楽しんで集中している状況なんてもちろんわかるまい。わからないからと言っていきなり強引に割り込んで人の時間を奪う権利が彼らに果たしてあるのであろうか?もともと電話で話すことがどうも苦手な私であるが、集中を絶たれたり、平穏を乱されてしばらく平静を取り戻すに時間がかかったり、つい相手の顔が見えないに任せて強く言い過ぎて後味の悪い思いをしたり、未熟なせいでこんなことがとても多い。
先日も夜行での出発前で少し寝ておこうと帰宅して眠った途端に不要不急な電話で自宅までの追いかけでたたき起こされて苦い思いをした。
メールがあるのになぜメールを使ってくれないんだろうかと思ってしまう。
そういえば今月から自動車運転中の携帯は使用禁止だ。メールは赤信号の間にのぞく限りは大丈夫のようだ。
これからは題名の付け方が重要になりそうだ。開かなくても内容がほぼわかるのは助かる。
メールは好きな時間にゆっくり見れて、問題点を考えることができて、返事をつくってもしばらく置いてから再度見直してそれから送れるのもありがたい。そしてしかもそのやり取りが記録として残る。
話をしている最中に相手や聴衆への携帯の着信音も、こちらの集中が切れてしまう。乗りが失せてしまう。
電話でないと失礼と考えているのであろうか?どうも電話をかけられるのは好きになれない。
そんなわけでこちらも電話よりもメールが主体となってしまう。
ロータリクラブの一昨年の地区ガバナーがメールを使う人とメールが使えない人の電話代の差が月に1万円以上あると話しておられたが、現実に今月の私の携帯は6千円ほどであった。
らくらく留学生への奨学金基金や派遣の基金などへの寄付金の原資ができてしまう勘定だ。
一回の海外旅行分ができてしまうから驚きだ。
電話に頼る人達からさらに値上げでどんどんなんて書いたら・・叱られてしまおうが。この欄をお読みの方にはほとんど該当はないのではなかろうか?
もうこちらは電話には出ないに限る、留守電、居留守電専用だぁ。メールはPCからも携帯転送ですっとんでくる(もっとも最近OCNはこのメイルオンのメール転送をあまり使わせたがらないようであるが)ので緊急でも大丈夫です。
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早朝のレイクルイーズ(カナダ)にて EOS10D 80−200/2.8
| 2004年9月29日(水) |
| 時間厳守主義ってもうやめようと・・・・・ 写真は機会を逃したら後悔する |
八幡平の温泉郷で岩手山の北側に岩手県の県民の森がある。上流に地熱発電所で有名な松川温泉があり、そのせいか森の入り口の右手を湯煙をもうもうと立てて小川が走っている。寒くなると紅葉に付着する霧氷が美しいだろうに。
5年ほど前の秋にここのペンションに宿泊した。真ん中に大きな円形の薪ストーブを配したホールを持ち、奥様がたしかコーンの皮で人形を作られていたと記憶している。暗くなって到着したのでロケーションはよくわからなかったが、翌朝撮影に出てびっくりした。白樺の二列の長〜い並木が紅葉の世界に続いているのです。そのときも朝霧が濃く一瞬別世界に来たかと錯覚を起こすほどであった。
岩手山への山岳道路にも続くこの森、写真散歩にはうってつけ。今回も悪天候の予報で急遽この森を最初の撮影ポイントにした。残念なことにまだ紅葉には早かったけれど、もう一度あの真紅の紅葉にお目にかかりたい。
また次の機会に写せるよと思うけど、なかなか同じ機会には恵まれない。一期一会とは良く言ったもので、いい状況に恵まれたら必ず全力でGETしないとあとあと後悔してしまう。朝会議があるなんて時に限ってまた素晴らしい景色になる。少し5分ほどと思うんだけどそれがなかなか。
最近はカメラを一式車に入れておく。これができるのは田舎もんの特権だ。都会で電車での通勤者には無理だ。こんなアドバンテージを生かすことができるのかなぁ。少し時間に遅れたって・・・。時間厳守主義を今年こそやめようと正月に誓い?をたてるのだが、ついつい毎年禁を犯してしまう。幸い今回は撮影するにするにつれ霧が濃くなっていき楽しく撮影できた.
岩手県民の森紹介HPへのリンク |
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| 2004年9月28日(火) |
| 桂の香り、惹かれます |
奥入瀬を歩いていて最初に気づいたのが桂の木の香りでした。芳しい甘い香りがまわりに漂っている。しかもそれが50mおき位いの短い間隔にである。
私の住む村松にも愛宕山と言う素晴らしい遊歩道をめぐらした里山の公園があるが、その一角に桂の群生した森があり、この香りをそこを通るたびに味わうことができて、幸せ感に一杯になり私の好きなスポットのひとつである。
それが奥入瀬にはあまりにも沢山。ただただ幸せを感じた私でした。
他の皆さんは知っているのかなぁ?この香りに気づいているのかなぁなんて考えて訊ねてみましたが・・・わからない人ばかり。友人のイソベ社長が評してなんだって。かるめなんて知っている人少ないよぉ。ザラメ砂糖を赤銅のお玉を大きくしたものに入れてかき混ぜながら熱して、あれは重曹だったかな、膨らし粉を入れたんだった、最後にぷーといって膨らむ。なんとも芳しい甘い食べ物だった。時々似た駄菓子を最近発見するが。しかし言い得て妙、桂の香りはまさにカルメの匂い、そしたら皆さんもああこの香りねぇ、やっとお気づきのご様子でした。
まん丸いうす緑の端正な葉っぱもまた下から見上げるととても美しい。これがまた落ち葉になると、ハッピートレイルに。デンバーに「トレイルダスト」という名の有名なステーキ屋さんがあるが、私は星屑をこの名前から連想したのだが、ある人はごみの路だなんて。しかしこの香りのハッピートレイルをどう表現したら良いのかねぇ。イソベ流に「カルメ・トレイル」がぴったしかも。
そうそうカナダはバンフの祐理子ちゃん今日からADSLが入るそうな。一ヶ月もパソコンなしでよう頑張った。
是非リンクして見ましょうね。カナダ アルバータ紀行〜104Street〜 これがその素晴らしい癒しのカルメの香りの桂です。EOS10D、200/2.8 |
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| 2004年9月27日(月) |
| やはりまだ紅葉には早かったけれど、十分に楽しめました |
金曜日蒸し暑い中、汗をたらたらかきながら八幡平、奥入瀬行きの支度にとりかかるが、どうしても寒いイメージがわかない。箪笥から手袋やら防寒具を引っ張り出すもどうもその気になれない。温度計は30度近くをさしている。なんとか支度を整えて猛烈な土砂降りの雨のなか集合地へ急ぐ。磐梯SAを過ぎてから参加者に夜行バスの眠り方の秘訣なんて調子でベルトで腰を固定し、リクライニングだと頭が下がりすぎるので持参のクッションをまた無い人は、ビニール袋に空気を入れて首あてに、そして上から掛け物を、無い人はジャケットを上から掛けることを勧め、窓のカーテンを閉め照明を落とす。こちらは前日からの疲労のせいかすぐに熟睡。宮城のあたりで強い雨音で目を覚ます。次に目を覚ましたのは盛岡を過ぎてから、岩手山SAで4時過ぎまで停車で仮眠体制に。予報どおりの雨の中、アスピーデ゙ラインへは充分明るくなってからと判断し、岩手県民の森へ。数年前の秋、盛岡で講演したあと秋田までワイフを列車で呼び出し、ここのペンションで一泊した。美しい白樺の並木と紅葉がとても気に入ったスポットで、紅葉はまだでも、霧でも充分絵になると案内した。
案の定紅葉にはまだまだ、暖かく半袖のままのメンバーもいた。雨の中最初に飛び出てさっと一通りまわって写したけれど、なかなかメンバーは支度に時間がかかっているのかもどもどしてる。雨が小降りになり、霧が濃くなるにつれてようやく皆さんもエンジンがかかってきたようだ。
八幡平もガスで視界ゼロかと最悪の事態を想像したけれど、上へ上がるにつれ視界が開け、さらに山の端にはガスが。紅葉がと口にされる皆さんには無いものねだりはだめよなんて軽口をたたきながら撮影を続ける。幸いに心配した風は無い。秋田の鹿角から高速にもどりSAでブランチ、十和田湖へは正午、先回奥入瀬の上の銚子の滝からスタートしとても長く一日では体力的にも無理と、日曜の予定とは別に午後からも急遽奥入瀬の撮影に当てる。デジタルにしてから高速でのシャッターに徹してきたので低速の撮影に一抹の不安が残る。しかし液晶モニターは実にありがたい。水の流れの効果が撮影してすぐにチェックできる。いろいろの長さの効果を見て能率は悪いが8秒を使うことに決める。レンズは絞りすぎると回析現象が起きて画質は低下するのでこれも心配だったけど、思い切って大きく絞ってみることにした。露出も岩肌と水流の白とではEVに差がありどこを取るかに悩んだがこれもモニターチェックで済んだ。3時間半におよぶ撮影で疲労し集中力が切れかけたところでちょうど終了タイムで、メンバーを拾うバスが下流から登ってきた。日曜は6時から前日に写せなかった下流部を撮影した。上流部より変化にとんで私は好きだ。前日かせいだせいか、思い切った作品つくりに挑戦する余裕が生まれる。8時30分に余韻を残し終了した。心地よい桂の香りを楽しみながらの素晴らしい奥入瀬の渓流美、今回はすっかり魅了されてしまった。四季おりおりまたここを写してみたいものだ。。幸いに紅葉がまだのせいか比較的人の出が少なく助かった。
「奥入瀬初秋10題」夕べ眠い目をこすりながら作りました。データーや文はまたあとから加えます。
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橋の下をのぞくと捜し求めていた紅葉が。奥入瀬ではこれだけだった EOS10D、200/2.8
| 2004年9月24日(金) |
| 秋の一日、母校を訪れた。 |
昨日はお彼岸の中日、母校の同窓祭が毎年この日に開催される。公開講座や同窓生によるフォーラム、コンサートが中心だが、前から是非参加したいと思っていたけれど、わざわざ東京までの高い旅費を使ってまで・・・・とためらっていた。事務局をつとめているその県支部にもさして適当な事業のあてもなく、今年からこれに参加のための新潟発のバスを格安に仕立てることにした。
秋の一日、人生の原点とも言える学生時代にタイムスリップすることが自分の今にとってプラスになれこそマイナスにはなるまいという考えがあったけれど、実に豊かな幸せな一日をGETできた。
早朝に新潟をたち昼前にキャンパスへ。すでに開催中の公開講座に入り込む。パソコンプロジェクターから黒板の前に吊るされたスクリーンに、そして両側に吊るされたBOSEのスピーカーから黒人母子の会話の映像と音が迫力をもって映写されていた中を。「なんでお前はそんなにお金にこだわるん?」「お金、うんそれが生き甲斐なんだよ、ママ」こんな会話が。うら若い綺麗なハワイ大学の大学院を出たという教授先生がさまざまな年代のピューリッツア賞受賞映画やニューヨークでの公演された舞台作品を中心にアメリカの家族の絆の歴史的変遷を次から次へと惚れ惚れする語り口で解き明かす。それぞれの家庭での父親、母親が中心になっての倫理観の確立そしてその崩壊、核家族化に伴う家族の拡散とその結びつきへの確認とやがて到来するその確認の困難さ、家族に入ってくる異なる人種の血に対するさまざまな問題、母親の外の世界への窓口の媒体としての役割などなど、見事な絆の変遷の展開を、楽しめた。我々の日本の家族にも共通するものといろいろ考えさせられた。
横浜の中田宏市長をはじめとする5名の同窓生市長たちによるパネルデスカッション。もともと母校への帰属性が薄く、そして同窓生同士もお互いに頼りにしない暗黙の鉄則がある?かのような比較的いい加減な風潮のアイデンテティと私は理解していたんだけれど。それが各同窓の市長パネラーの言葉を借りると自由、自分の下した選択肢に対する判断に対する自己責任の明確性などと見事に転換されてしまった。あらためて自分の中に流れる同窓の染色体的なものを確認してしまった。
学生時代の思い出がこもった学生食堂でオムライスに舌鼓を打ち、旧友とキャンパスの木々の下でコーヒーをすすりながら久しぶりで旧交を温める。幸せな静かな至福の秋の一日を頂けた。
今晩から八幡平、奥入瀬へのツアーです。 |
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ここのところ毎朝の犬の散歩の途中気になっていた彼岸花。
今朝頂きました。風が強いけど美しい秋の朝の光とともに。
RAW、16ビットパス保存 EOS10D,200/2.8 |
| 2004年9月20日(月) |
| 与えることが先派?もらうほうが先派?あなたはどっち派ですか? |
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お盆を過ぎてから、せっかく緑に囲まれて生活していることでもあるし、前の通りも奥から2軒目で人通りもほとんど無いのでと二人で2畳ほどの玄関の風除室にキャンプ用のテーブルと椅子を持ち出して晩飯を食べだした。
2匹の飼い犬もここなら入れてもらえるし、こちらも網戸が完全なので蚊にやられる心配がない。
どうも商人ってせっかちでこの年までゆっくり食事をしたことがない。
ワイフの方もオフクロが逝去してぽかっと心にアキができてしまったせいか、暑さがきつかったせいか、この夏食事もさっぱりすすんでない。
気分転換ができたらなんて二人で始めてみたんだけど、これがまた実に快適。
意外と西側が開けていて夕雲が楽しめた。
最初はランプをともしたり、ミニアンプスピーカーでモーツアルトを流したりとしてみた。しかし、いつの間にやら電球スタンドとボール蛍光灯の吊り下げに、音もヒグラシからこおろぎの音だけに。
1時間ほどゆっくり食事と会話を楽しめ、ワイフの食も最近は見違えるように太くなってきた。
話題はいろいろ、なるべくぶつかりそうな話題は避けているものの、たまには避けきれない話題も出てくる。
タイトルのような話題が出るともう大変。どうも私のお人よしはあきれられているみたいだ。
性分だから仕方ないと思うけど、ロータリークラブなんかで奉仕の理想なんて話になると我が意を得たとばかりほくそえむ。
もらってから上げる、もらっても無理までして上げなくても、まいろいろ考え方はありそう。
まあ、天上界を信じてリターンを目指さない生き方、与えきりが一番とやっぱり私は思うんですが。
このあたりはいつまでたってもすれ違い。どちらが折れるんでしょうか?
まあ、雰囲気が雰囲気だからこんな話もでるんでしょう。、僕のお人よしはどうやら嫌われているらしい。
この風除室をこちらも気に入って、最近在宅の時は仕事をここですることが多い。
LANコードを伸ばしてだけど結構PC環境もグー。。
犬たちは、私がそこに居るともう大変。一緒したくて鳴きまくる。
仕事の合間は2匹とも安心しきってかよく眠っている。
そろそろ彼岸を過ぎると寒くなる。今度はガラスを締め切って軽く暖房でもいれようかと考える。
去年のツツジの満開の時、この部屋から朝ハチドリが来ていたのを見た。アメリカのロッキーでは見ていたが、日本のまさか自分の領域に飛んでくるとは思いもよらなかった。
ワイフを呼んだりカメラを取りに行ってる間にどこかへ飛んで行った。
それ以来みていないが、こんどこそカメラにおさめたい。
粗末だけれど緑に囲まれたとてもいい環境。60代はここで仕事する時間が増えるのかな?
雪景色を見ながら仕事ができるのも今から待ちどおしい。
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早朝のレイクルイーズから(カナディアンロッキー),あえて今回は予算的にも無理して最高のロケーションのシャトーレイクルイーズに宿泊した。おかげで早朝からも氷河を写すことができた。太陽が一瞬赤く氷河を照らしたとおもったら瞬く間に広がる。canon10D
80-200/2.8 |
| 2004年9月17日(金) |
| OCNのサーバーにファイル送るのにとても苦労・・・一度道がつけばあとは快適 |
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15日の朝にプロバイダーとして申し込んでおいたOCNからURLやらIDやらIPアドレスとやらを書き込んだメールが届いた。
夜になってホームページビルダーの説明書と照合させながら接続の設定を進めた。しかしここで立ち往生。OCNから来たいろいろな符号の名前とまったく会わないのだ。
いったい何がどれにあたるのか?暗号を解くみたいなものだ。夜半まで苦しみ、仕方なく実情を細かに書いたメールを送付する。
おまけに、OCNの説明のサイトに「感想」なる書き込み欄が、思わず強く苦情を書いてしまう。
16日朝は誕生日のこの日が期限で車の免許証の書き換えに聖籠まで。
帰りにOCNから丁重なメールが。なんとか符丁することができたが、今度はなかなか接続してくれない。夕食後懸命にトライするけれど・・。???で時間だけが経過する。
少し兆候が見えて送付するが、トップページのみの表示、リンクページは空き家。
なんとか還暦の記念の誕生日に開通をと願ったけれど、断念。状況をメールしてOCNに送る。
昨日の朝痛かった首が朝起きるとずきずき痛む。さらに寝違えたのか、パソコンをやりすぎたのか、先日うっかりして法務局の柱にバックでドスンした時にしたたか打った鞭打ちか?東京への会議出張は無理だぁ。諦めて東京にメールを打つ。
メールが入ってはいたものの午前中はなかなか起き上がれない。午後になってOCNの無料相談に電話した。
いろいろ話しているうちにどうも接続しない原因はセキュリティチェックにあるようだ。
ノートンを使っているんですが、前にもそういうことがあった。つながったと思うとノートンが入ってくる。そしてマイクロソフトのエラー、送信のアナウンスが。不思議なことに同じOCNのせいでもなかろうが?メールの方までエラーがリンクする。その連環からの脱出は再起動。この繰り返し。
ノートンをあれこれいじったがわからない。出てきた受け入れますか?のアナウンスを返答なしにおいておき、しばらく凝視する。
詳細で手動に切り替えたみたら、なんとかうまい具合につながった今度は安定している。
昨日から気になっていたリンクの無さもベッドの中で説明書のQ&Aを見る。
どうやら、全角や英数字以外をフォルダーの名前に使うとサーバーが受け付けないってことがわかったのはつい先ほど。暗くなってからでした。
首は動かされずの四苦八苦の末の開通でした。
作成に手をつけてから6日目。そう言えば今日17日は親父の祥月命日でした。
もう丸7年も経過したと、しみじみ。
夜はワイフと五泉のイタメシに。ワイフはカルボナーラをこちらはペペレンチーノを。
女性客ばかりの結構はやっていた店だった。
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お盆前に村松の昔からの(私の先々代から続く)グループの旅行で金沢に行き、前田家以来の由緒ある割烹料亭で宴席を催すことができましたが、その機会に芸子さんたちを写す機会に恵まれました。この芸子さんは西の茶屋町からきておりました。早速四つ切に伸ばして送ってあげましたが、随分喜ばれました。馬鹿なことにこの日は広角系のズームしか持参せずで接近しての苦しい撮影でした。約束しましたので今度白川郷の帰途撮影会ができそうです。 CanonEOS10D シグマ15-30
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| 2004年9月13日(月) |
| ホームページも結局またOCNを使うことに |
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HPを開くのにいったいどんな契約をプロバイダーとしたらいいんだろうか?一ヶ月のコストはどのくらいなんだろか?
またまたわからないことだらけ。
会社のHPが500Mバイトを超過してなんて聞くと皆目検討がつかない。
Yahooのジオシティだと無料で15Mバイト、そして25Mバイトのジオプラスだと525円でOKと言う。
写真もどこまでJpegでWeb用に圧縮したらよいのかもわからずだらけ。
結局あれやこれやで現在利用しているOCNのマイホスティングが30Mバイトで2500円ほどでこちらに申し込んでしまいました。しかし現在までの総重量はまだ3Mバイトほど。
あとでYahooの方が良かったかなとまたまた悩む。
すぐに使えるものと思ったらなかなか結局この15日くらいになるらしい。
それまでデビューが遅れる。しかし準備期間があるってことかな。
この16日が私の誕生日、とうとう還暦です。
どうやら50代との決別、還暦記念がデビューになりそう。
先日私の住む町から老人福祉センター利用許可証なるものが送られてきて、ついに老人だってさと・・・。そして年金振込みの御願いが銀行から舞い込む。よかった60からもらえるんだぁ。もらわないと損するみたい。
問い合わせると誕生日の前の日から申請できるそうだ。
申請したらいくらくらい貰えるんだろう?先日社会保険事務所へ社員の資格移動申請で行く機会があったので、頂くほうにも並んでみた。
丁寧に係の人から教えていただけたが、額はなかなかわからない。
そんなしているうちにその係りの人の顔を見て思い出した。
昭和44年に帰省して初めてお店を村松の隣なりの五泉市に持たされて軌道に乗せるのに四苦八苦の頃、店に出入りしていた地元高校の写真部の松本君だった。彼が社会保険事務所に入ったことはしっていたが。35年ぶりの再会、とても懐かしかった。彼もすぐに思い出してくれた。まあ、また申請してどうなるか、年金受給者も楽しみです。
今日の食彩:帰宅が18:20そして19:00からまたパソコン画像教室がで一人てんやわんや。8月の糸魚川の海川での釣り大会でGETして冷凍していた虹鱒を無理に解凍。もともと川原ではらわたやエラを出し背の血合いを取っての冷凍だから簡単、塩コショウしてビニール袋で大匙2の小麦粉をまぶし、生憎バターがほとんど無くて、オリーブオイルでのこんがりムニエルでした。ソースはなし。付け合せは舞茸の塩コショウ炒め。あとじゃが芋に切れ目を入れ電子レンジで10分、そのあととろけるチーズをバター代わりに使って2分見ました。ノンアルコールビールとかけ込みでなんとか時間に間に合わせましたが。
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毎年9月を過ぎると新潟県の山古志地方には朝霧が立ち込める。棚池と後ろの杉にこぼれる太陽光線が美しいラインを形作ってくれる。
普通一般的に日が上がると絵にならないが、山古志だけは別のようだ。山古志村から川口町にかけては9時くらいまで楽しめる。越後川口から東に入ると写すポイントが多い。
CcnonEOS1N+80-200/2.8,ベルビア
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| 2004年9月12日(日) |
| ついにホームページの作成にまできてしまいました。 |
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昨年のお正月に20年間慣れ親しんだワープロに決別してパソコンに挑戦しだしてもう1年半が経過しました。
何回も何回も途中で挫折しかけたんですが
ついに念願のホームページの開設にのぞんでいます。
というのは店のHPのちょっとした?更新に、つい最近十数万円も請求が来たり、またサーバーの利用料が使用容量がオーバーということで当初予算よりまた高く、これもまた十数万円(年間)も請求がきてしまい、担当の専務(長男)と費用対効果の面であたまを抱えてしまい、それなら自ら勉強して自分で制作までやると、またまた余計なことをワイフに宣言してしまい、どうしてもやらざるを得ない状況に陥ってしまったわけであります。
はたして、HTMLもしらなくてまともなホームページができるのやら?心配していても仕方ない、早速折からキャンペーン中のソーサーネクストからHPビルダーを買い求め、なんとかその便利さに引かれてラフデザインもないままにいきあたりばったりで進めているわけですが。
昨日ソフトが届き、今日一日朝からPCに向かっていますがわからないことだらけ。
おまけに集中しすぎて飼っている愛犬たちに脱走されても気づかない始末。なんとか無事つれもどしたけれど。
幸いおかげさまでご覧にいれたいネガもデジタルも画像も商品情報も豊富にあります。
皆さんからは充分楽しんでいただけるかなとひそかに思っているんですが、これまたどうなることやら。
今日の食彩:600円の和牛ステーキを半分づつ、岩塩を軽く振りかけて肴焼き網でガスでレアに焼き、それから26cmの古いフライパンに桜のチップを軽く敷き網を渡したもので軽くスモークをしたもの、付け合せはブナシメジの塩コショウ炒め。そして長茄子を蒸して山葵醤油、枝豆一握り塩もみ、角カットで3分茹で、そしてところてん1カップを半分づつ、からしに味ポンでした。アメリカ、カナダの有名なステーキハウスは必ず煙し焼きしていることに最近気づき応用しています。

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この6月にカメラクレジットチェーン会のツアーで吉野信先生とカナディアンロッキーをツアーした時の作品です。ボウレイクです。いつも右側にある大きな氷河から吹いて来る風がとても強い場所なんですが、今回は不思議なことに波ひとつたたない無風でした。
バンフに住む祐理子ちゃんからのメールですともうバンフはとても寒くなり昼でもジャケットなしではとても無理だとか。
そのバンフに住む祐理子ちゃんのアルバーター紀行HPへのリンクです。
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